「コロナ・ウイルス」が教えていること
介護老人保健施設。多分に、日本における介護保険制度の下での特殊な光景であろう。
100床の中で、約2割の病床がコミュニケーションの断たれた方々の療養で埋まっている。「食べたい」「食べたくない」の意思表示は無く、経管栄養でもって定時に食事が注入される。
毎朝、7時30分に出勤。病床を見て回る。朝日のもとに、穏やかな光景がひろがる。「痛い」「苦しい」などの症状は全くない。排尿、排便。定時にオムツの交換。週に2から3回の入浴。表情も穏やかそのものである。
自らの意志とは関係のない日常生活。時は、止まることなく刻まれていく。日本という国の平和な姿を象徴しているのであろうかと自らに問いかける。
対照的に、WHOからの必死のメールが届く。100円でも、1000円でもお願いしたいとの訴え。飢餓に苦しんでいる地域のこどもたちのために。生き続けるために。教育の機会を与えるために。夢を見させるために。
地球の温暖化が進行する。氷河の中で、静かに眠っていたウイルスが目を覚ましたのであろうか。居場所がなくなって飛び出したのであろうか。ウイルスもまた、自らが生き延びるために。
貧富の差が拡大の一途をたどる。バブル経済が弾けそうな世相に歯止めをかけるためにウイルスが飛び出してきたのであろうか。「清貧」という言葉を思い出しなさい・・・と。助け合って、支え合って生きなさいと。
これまでの歴史に、修正が求められていることは確かである。個々の生き方にも修正が求められている。
マザー・テレサは語る。
思考には気をつけなさい。それは、いつか言葉になるから。
言葉には気をつけなさい。それは、いつか行動になるから。
行動には気をつけなさい。それは、いつか習慣になるから。
習慣には気をつけなさい。それは、いつか性格になるから。
性格には気をつけなさい。それは、いつか運命になるから。
吹き荒れる「コロナの嵐」の中での「割り算」
~分母を「自然」に置き換えてみる~
孫が9人いる。その中の小学校低学年の3人が遊んでいた。最年少の1年生の男の子がミカンを1個もっていて、自慢げに見せていた。母親が、「みんなで分けて食べなさい」と注意した。ミカンは1個。とまどっていた。
母親がアドバイス。「ミカンの皮を剥きなさい」・・・と。1個を、自慢したがための結果であった。1年生にも「割り算」ができた。割って、事は、ミカンのように丸く治まった。
コロナの嵐が吹き荒れている。対照的に、勤務する高台にある介護老人保健施設の窓から、穏やかな名護湾が見渡せる。静かに姿を現す朝陽、音たてることもなく沈む夕陽。世の中の騒音の隙間に、心を癒す自然が広がる。水平線の向こうには未知の世界が広がっているのであろう。
老健施設は100床。百歳以上の入所者が10名。「割り算」でみると10分の1。内訳は、女性が9名、男性が1名。最高齢者が105歳。入所者全体の男女比も7対3で女性優位の世界である。
コロナの嵐の発生原因についてはいくつかの説がある。最も共感できる説が、人類がこの半世紀の間に痛めつけてきた自然、その破壊に対する自然の反応ではないかとのこと。地球の温暖化は確実に進行している。
夕方、仕事の疲れを癒し、健康管理を兼ねて砂浜を歩く。寄せては返す「波」の表情が日ごとに変わる。穏やかに、平和を祈る波。人間の欲望を沈め、諭す波。時に、荒れ果てた地球を洗うかのような波。ゴシゴシ・・・と。
老健施設における入所者の平均年齢は約90歳。いにしえの、長寿県・沖縄の面影が残っている。90歳。「割り算」で考えてみた。平均寿命。「割り算」の分母を置き換えることによって、いろいろな世相が表現される。
分母を雄大な自然(無限大)にしてみた。残念ながら、人間の平均寿命は、「0、000・・・」。数字にならない。100年、200年後の時代を予測することは、人間の頭脳でもって推し量ることは至難の業であり、「割り算」が成り立たない。偉大な自然に対しては、「謙虚」に向き合わざるを得ない。
1個のミカンのように、分け合って、譲り合って、支え合ってこそ、地球は丸く治まるのではないだろうか。「21世紀の森」と称して埋め立てられた隙間に、わずかに残された砂浜が教えてくれたことである。
抑止力と称する隠れ蓑でもって、この素晴らしい地球の、この沖縄の、この海岸線をコンクリートで固めてはいけない。未来を背負う子供たちに、割り切ることのできないミカンを残すことになる。
本の紹介
「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い」
玉城 英彦著 人間と歴史社(2017年2月)
「疫学」を解説した医学書として捉え、姿勢を正して、ある程度身構えてページをめくってみた。しかし、読み進むうちに、壮絶な一人の人物・産婦人科医の生き様に引き込まれてしまった。著者の玉城英彦氏の人生観、社会観をからめての解説に酔い、最終章まで一気に読み通した。疫学という学問の重要性とその魅力の解説をとうして、現代の若者に刺激を与えることを意図とした力のこもった著作である。
「手洗い」。現代社会においては感染症予防のための常識となっている。常識が、常識ではなかった時代が存在したことに驚いた。妊娠・出産が命がけの時代があったのだ。産婦人科医、ゼンメルワイスの「産褥熱」との闘いの物語でもある。大病院での出来事であった。産褥熱で4人に1人の若き女性が出産後に死亡した。「産みの苦しみ」として片づけられていた時代である。
その時代においても格差社会は存在した。自宅での、助産師による出産ではさほど産褥熱による死亡はなかった。裕福な家庭は、自宅での出産が一般的であった時代である。名もない、貧困にあえぐ人々が病院に収容され、研修医の餌食となった。
「産褥熱」の要因を疫学的手法で紐解いていく過程での葛藤。研究者の一途な探求心と正義感。そして自らの性格が転じて、それをとりまく社会との確執の中で紆余曲折の悲惨な物語を演出する。医原病の究明の一場面であり、著者が以前に出版した「社会が病気をつくる」の側面を覗かせる物語でもある。
著者の玉城英彦氏は沖縄県本島の北部、古宇利島の出身である。私と同期で、名護高等学校で青春時代を過ごした仲間である。長年にわたり世界保健機関(WHO)において活躍した。エイズに関する疫学に取り組んだ。著作には故郷、古宇利島を描いた「恋島への手紙~古宇利島の想い出を辿って」(新星出版)、「社会が病気をつくる~持続可能な未来のために」(角川学芸出版)、「世界へ翔ぶ~国連機関をめざすあなたへ」(彩流社)等がある。現在の肩書きは、北海道大学名誉教授・北海道大学国際連携機構特認教授となっている。
私は現在、30数年の呼吸器外科医としての生活に終止符を打ち、日々、介護老人保健施設で約100名の高齢者の方々の診療に従事している。「がん」の診療から一転して、人間の老化の過程と対峙している。「エビデンス・ベイスト・メディシン](EBM:Evidence-based Meddicine)と称された事実のみが良しとされた世界から、EBM(根拠に基づく医学)がすんなりとは適応しがたい「ナラティブ・ベイスト・メディシン」(NBM:Narrative-based Medicine)への転換であった。このEBMからNBMの世界への衝撃を、なんとかうまく組み立てることを考えていた矢先に、今回のゼンメルワイスの生き様に出会い、衝撃を受けた。大学紛争を経験した最後の世代である。随分と遠回りをしたことを反省はしているが、遠回りも無駄なことばかりではなかったと考えている。
著者は現代の若者に呼びかけている。社会との関わりの中で、真理を追究する情熱と大志を抱き続ける忍耐をもって、進んで灯りをともす努力を惜しまないことを。そして、あせらず、たゆまず、「急がば回れ」と。一読をお勧めいたします。
介護老人保健施設「あけみおの里」施設長 石川清司










