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新型コロナウイルスが語っていること

新型コロナウイルスが語っていること
 
 長年の公務員生活に別れを告げた際に、国立病院機構沖縄病院のホームページに「名誉院長室の窓から」と題するコーナーを設けてもらった。約十年前に出版した拙著「医者の目で見た患者学」、それ以降の思いを折りに触れて綴ってきた。
 
テーマが百題に達した今日この頃、そろそろまとめの文章をと考えていた矢先に、突然に降って湧いた「新型コロナウイルス」の嵐である。このパンデミックに関する論文が散見される。要旨のみを抜き出して、事態をどのように捉えるかを整理しておきたい。
 
イギリスの地理学者デブィッド・ハーブェイは語る。「真の自然災害は存在しない」と。戦争どころではない。この今の状況は、過去の半世紀にわたって徹底的に虐待されてきた「自然からの復讐」であると説明している。
 
 青春時代を過ごした名護の街。名護湾を縁取る長い砂浜。そこには、若者に夢を見させる自然があった。水平線、沈む夕陽。埋め立てられ、今では、姿を変えた海岸線とシャッター街が残る。
 
隣の屋部の村に散歩のできる砂浜が残されている。ゴミ袋を携えての散歩。健康管理を兼ねて往復で約五十分。拾った空き缶、ペットボトルで袋はいっぱいになる。雨の後は、さらに酷い。川から流れついた廃棄物が散乱し、海も土色に染まる。
 
計画性のない開拓と自然破壊。そして、その結果が表現されている。それでも波は、陸地を洗う。ゴシゴシ・・と。自然は、復讐のみでなく修復をも願っているようにも思える。
 
 教皇フランシスコの言葉である。今回の、この現象は、「自然の報復なのかは分からないが、自然からの応答であることには間違いない」・・・と。そして、付け加える。「神はいつも赦し、人間は時折赦すが、自然は決して許さない」と。過去に対する反省と修正が求められている。
 
 新型コロナウイルス感染に対する治療法の研究、健康管理、経済的な問題は喫緊の課題である。加えて、現代社会に提示された課題、家庭、環境、貧困、人権、民族、国家および国家間の問題があり、それらが同じ根本問題に起因しているとの指摘がある。
 
 「新自由主義」と表現される経済最優先の政策は大企業、富裕層を優先し、弱い立場にある者を置き去りにしてきた。再燃、加速する「領土」に対する確執。人間の欲望は宇宙にまで広がる様相を見せる。
身近には自己が、地域においてはその場が、さらには自国が、その人種、民族が有利になる条件であれば、すべからく「良し」とする風潮にあり、また、政治がある。
 
自らを含めて、すべてが自然の一部であることの基盤のもとに、謙虚に、自然に向き合わなければならない。「その時」が来たのではないかと指摘されている。
 
沖縄県の北部。高台にある老健施設の窓から名護湾の全景が見渡せる。混沌とした世相と時の流れが見えてくる。限りない、人間の欲望の渦が見えてくる。
 
施設の窓の内側では、悲喜こもごもの人生の物語が演じられている。窓を閉ざすと、ひと時の静けさに出会う。窓を開くと、外の空気が流れ込み、今日もまた、新たな物語が展開されていく。出会う、すべてに・・・感謝。

手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

本の紹介
      「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い」
           玉城 英彦著 人間と歴史社(2017年2月)

 「疫学」を解説した医学書として捉え、姿勢を正して、ある程度身構えてページをめくってみた。しかし、読み進むうちに、壮絶な一人の人物・産婦人科医の生き様に引き込まれてしまった。著者の玉城英彦氏の人生観、社会観をからめての解説に酔い、最終章まで一気に読み通した。疫学という学問の重要性とその魅力の解説をとうして、現代の若者に刺激を与えることを意図とした力のこもった著作である。

 「手洗い」。現代社会においては感染症予防のための常識となっている。常識が、常識ではなかった時代が存在したことに驚いた。妊娠・出産が命がけの時代があったのだ。産婦人科医、ゼンメルワイスの「産褥熱」との闘いの物語でもある。大病院での出来事であった。産褥熱で4人に1人の若き女性が出産後に死亡した。「産みの苦しみ」として片づけられていた時代である。

 

 その時代においても格差社会は存在した。自宅での、助産師による出産ではさほど産褥熱による死亡はなかった。裕福な家庭は、自宅での出産が一般的であった時代である。名もない、貧困にあえぐ人々が病院に収容され、研修医の餌食となった。
 「産褥熱」の要因を疫学的手法で紐解いていく過程での葛藤。研究者の一途な探求心と正義感。そして自らの性格が転じて、それをとりまく社会との確執の中で紆余曲折の悲惨な物語を演出する。医原病の究明の一場面であり、著者が以前に出版した「社会が病気をつくる」の側面を覗かせる物語でもある。

 著者の玉城英彦氏は沖縄県本島の北部、古宇利島の出身である。私と同期で、名護高等学校で青春時代を過ごした仲間である。長年にわたり世界保健機関(WHO)において活躍した。エイズに関する疫学に取り組んだ。著作には故郷、古宇利島を描いた「恋島への手紙~古宇利島の想い出を辿って」(新星出版)、「社会が病気をつくる~持続可能な未来のために」(角川学芸出版)、「世界へ翔ぶ~国連機関をめざすあなたへ」(彩流社)等がある。現在の肩書きは、北海道大学名誉教授・北海道大学国際連携機構特認教授となっている。

 

 私は現在、30数年の呼吸器外科医としての生活に終止符を打ち、日々、介護老人保健施設で約100名の高齢者の方々の診療に従事している。「がん」の診療から一転して、人間の老化の過程と対峙している。「エビデンス・ベイスト・メディシン](EBM:Evidence-based Meddicine)と称された事実のみが良しとされた世界から、EBM(根拠に基づく医学)がすんなりとは適応しがたい「ナラティブ・ベイスト・メディシン」(NBM:Narrative-based Medicine)への転換であった。このEBMからNBMの世界への衝撃を、なんとかうまく組み立てることを考えていた矢先に、今回のゼンメルワイスの生き様に出会い、衝撃を受けた。大学紛争を経験した最後の世代である。随分と遠回りをしたことを反省はしているが、遠回りも無駄なことばかりではなかったと考えている。

 著者は現代の若者に呼びかけている。社会との関わりの中で、真理を追究する情熱と大志を抱き続ける忍耐をもって、進んで灯りをともす努力を惜しまないことを。そして、あせらず、たゆまず、「急がば回れ」と。一読をお勧めいたします。
      介護老人保健施設「あけみおの里」施設長 石川清司